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「高橋大輔」を好きなだけ語るブログ

私の好きな高橋大輔さん話 その2

高橋くんの誕生日を機会に、自分が倒された高橋君のエピソードを好きなだけ書いてこうと思ったら、序盤のつもりで四千字を超えるという事態に…。

あまりの長文に投稿を分けて、こちらはその第二弾のエントリーです。
(第一弾は主に演技についての惹かれポイント)

こちらは更に長くなったので目次つけます

オフアイスのエピソード

義理堅さ・情の厚さ

8歳という、代表選手になるような中では遅い年齢でフィギュアスケートを始めた高橋くん。
家のすぐ近くにスケートリンクが建って、共働きの両親もここになら通わせられると、近所の人にも送迎してもらったりするような環境で、楽しく遊ぶようにリンクに通い始めたというのが、高橋大輔選手のスケート人生の始まりらしい。
英才教育って訳でもなく、ただ習い事としてふわっと始めた子って所が面白い。

だんだん周りから注目され出して、いろいろ大会に出るようになって。

14歳で長光歌子コーチに出会い、その後岡山から大阪のコーチの元にも通うようになったそうですが、その頃彼の母親がコーチに頼んだ唯一の事が、「もしも義理を欠くような事をしたらスケートを辞めさせてほしい」だったと記事で読んだ。スケートが出来てるのは周りの人達のお陰だからと。

周囲から才能を期待されてより高い指導を受けさせようとなった時に、母親が先生に頼んだ事が、スケートが上手くなるように、じゃなくて、人として真っ直ぐ育ってほしいだった事が、なんか素敵な話だなあと思う。

そして、中学生の高橋くんが先生に言った言葉が、「今まで周りの人にとても助けられてきたけど、どうやったら僕は恩返し出来るんでしょうか」だったのも、ああこの母にしてこの子あり、なんだなあとほんわかする。(引退時の長光コーチからの思い出話)

岡山県スケート連盟会長の小嶋さんからの話も素敵だ。

高橋くんが世界ジュニアの代表になって地元で壮行会をした時、当時の彼が継ぎはぎだらけの靴を隠すように持ってた事。(※ちょっと訂正:小嶋さんの記事では多分壮行会の時だけど正確にはいつの時だったか確かではないようです)
それを見た周りの人達が、世界での戦いに向かう選手がこんな事ではいけないと、カンパして靴をプレゼントした事。
そして高橋くんは世界ジュニアで優勝して帰ってきた。日本人男子初の歴史的快挙。

小嶋さんの話では、一つ誤算だったのが、国体に岡山代表で出てもらうつもりだった所に、あまりにも世界で良い結果を出してステージが変わり、国体への出場が難しくなりそうだった事らしい。
でも高橋くんは地元の為に、プログラムの演技時間の違う国体にも出てくれた。
その年高橋選手と彼と同い年の大上選手の二人で、岡山県フィギュアスケート初優勝を果たしたんだそうな。
これは今のスケート大国岡山県の礎ですよね。
小嶋さんは高橋くんを「本当に律儀な男」と書いている。

この時の記事見つけたのでリンク

個人的な感想だけどちょっと今の友野一希選手も重なる所がある気がする。
世界で結果を出し始めている中で、地元や所属大学の為になる小さな大会にも積極的に参加するところ。
義務感というより、本人が自然にやってる風情で周りに気持ちの負担をかけないところも似てる。
沢山の人に助けられている自覚があって、沢山の人に恩返しがしたい人。
優しい気持ちの循環が見えて何か気持ちがあったかくなる。

律儀という言葉の他に、高橋くんを語る人達から信頼って言葉もよく聞く。

バンクーバーでメダルを取るより前からずっと取材し続けて来た人達が、こぞって彼に「信頼」という言葉を使う。(刈谷さんとか西岡さんとか)
どんどん成績を出して有名になっても、いつまでも変わらない高橋選手の昔からの誠実さ。
取材歴が長くなくても、高橋くんの功績だけじゃなく人柄に感嘆して記事に書く記者が多い。
そうゆうの聞いたり読んだりする度に、そうなんだ!見ててそんな感じするけどやっぱりそうなんだ!って、なんか嬉しくなる。

もともとの優しさ

長光コーチが、高橋くんについてよく話すエピソードが二つある。

岡山から大阪の長光コーチの元へ練習に通ってた中学生時代、帰りの電車に乗る時、練習で疲れきってる高橋くんを見て、コーチが電車を一本見送って座って帰れと勧めて先頭に並ばせたのに、結局後ろから来たおばさん達にどんどん席を譲ってしまった。

後で訳を聞いてみたら、その人達の方が疲れてそうだったと答えたらしい。
練習で疲れてる上に、大阪から岡山までの長距離、在来線だからかなり長時間の帰路になるのに、わざわざ座るために一本電車を遅らせてるのに、人が疲れてそうに見えたという理由で席を譲っちゃうのが、優しい中学生だなあと思う。

もう一つは、海外の試合で遠征した時、街を歩いていて、横断歩道をゆっくり歩いているおばあちゃんが信号の間に渡りきれるか心配で、一人でゆっくりその後ろを歩いていたという話。
話しかけるでもなく、ただ何かあった時のためにと後方を気づかれないように歩いてるって所が、すごく高橋くんらしさを表してる気がして、これもほんわかする。

マナーの徹底

もともと優しい性格だった上に、歌子先生が、国際競技であるフィギュアスケート選手として、海外でもきちんとした行動が取れるよう国際マナーを叩き込んだという事も、その後の彼をつくったと思う。レディーファーストとか。

オフシーズンの合宿の映像なんかでは、みんなで一緒にバーベキューをしながら、率先してゴミを回収して運んでたり、小さな女の子達に飲み物を注いであげたり、常にちょこちょこと動いてる。

歌子先生の荷物はもちろん持ってあげるし、後輩達にも優しくて、重い荷物を持ってる人を見たらやっぱり代わりに持ってあげるらしい。(by 澤田亜紀ちゃん)
でも重くなくてもよく女性の荷物は持ってあげてる気がする。

海外試合の遠征の時も、空港でターンテーブルで出てくるスーツケースを、一緒に行った人達の分を黙々と降ろしてあげて、危うく自分のスーツケースを取り忘れそうになって慌ててたって話を聞いた事がある。
すごく紳士な行動なのにそんなオチがあるのが、らしくて好きな話。

歌子先生の話のリンク

後輩スケーター亜紀ちゃんの話

臨海スポーツセンターの存続活動

臨海スポーツセンター(臨スポ)のリンク存続活動の話も、とても印象深い。
既にブログのどこかで書いてる話だけど、これを機にちょっと詳しく。

臨スポの存続活動はバンクーバー五輪より前の2008年から高橋くんが携わってた活動で、高橋くんも協力したチャリティーショーや署名活動などの効果もあり一度は持ち直したのに、2011年10月、また閉鎖の危機が来る。

そこで大阪の府知事に直談判したのが、当時既にオリンピックメダリスト+世界王者のタイトルを持っていた高橋くん。自分の名前が使える所があるなら使いたいと言っている彼の、正に気持ちの良い名前の使い方だなと思う。

2012年5月に知事に面会して、期限内に改修費用の半分の1億5千万円を募金で集めれば、その半分を大阪府が負担し臨スポを存続させるという言葉を引き出した。

とは言え、1億5千万。
諦めろと言われているに等しかった気もするけど、高橋くんは「諦めたら次はない」と前を向く。
条件を引き出した5月以降、臨スポ利用者や家族や高橋くんはじめ沢山のスケーター達が協力して懸命に募金活動をする中、同年10月に大金を寄付する人が現れる。

新聞で活動を知って詳しく話を聞きたいという方がいて、高橋くんが2時間に渡って説明をしたという。
「子ども達に好きな事を諦めてほしくない。楽しくスケートをして色んな人と出会い、何かを得て社会に出て行ってほしい。」と以前から話していた高橋くん。
その後「子ども達の笑顔を守りたい」という文と共に、匿名希望で合計1億3千万の寄付があった。(ソチ五輪中の新聞記事から)

残りの金額は、高橋選手がリンクからお客さんに頭を下げて募金をお願いしたアイスショーで、あっという間に集まった。そうな。
本当に奇跡のような結果だ✨

スケーターにとって練習するリンクを失う事がどんなに大変な事か、身を以て知ってる高橋くんが、かつて2年間練習拠点にしていたスケートリンクの存続活動に、真摯に取り組んだ結果。
高橋くんだけの力ではないけど、彼がいなければやっぱりあり得なかった。
本当に果たした役割は大きかった。

でも本人は自分のやった事については何にも言わない。
リンクが残って本当に嬉しい、皆さんご協力ありがとうございましたって、それだけ。
カッコイイなあ。😭

力を結集させる何かを持っている人だと思う。自然と周りに人を集める人なんだなって、話を知った時しみじみ感動した。

松原記者の臨スポの記事

臨スポ支援の会のHP

モロゾフコーチとの訣別

2008年、ニコライ・モロゾフコーチの師事を離れた時の彼も、潔くて格好良かった。

周囲の話を繋ぎ合わせるとどう見てもモロさんの身勝手さが原因だと思うんだけど、高橋くんは一切モロさんを責めるような言葉は口にしなかった。
ただキッパリと師弟関係の解消を決めただけ。

モロさんは2005年に高橋くんのコーチとして加わり、シニアで伸び悩んでいた高橋くんの才能を飛躍的に伸ばした人だ。

コーチ3年目のそのシーズンは、モロさん振付のヒップホップ白鳥の湖という斬新なプログラムを引っさげて、四大陸選手権では4回転ジャンプも好調で当時の世界最高得点を獲得して優勝。
世界ランクも1位でノリに乗ってた。この頃のモロゾフへの高橋くんの信頼は絶対だったと思う。
ただ、その後の世界選手権は調子が悪く、期待された表彰台を逃した事で落ち込んでいた矢先、モロさんが取った軽率な(※私の感想)行動が高橋くんを深く傷つけた。その結果の別離。

当時の自分は今程ファンだった訳じゃないけど、もっと彼は怒っても良いのにと思ってた。
でも高橋くんは、ただモロさんを悪く言わないってだけじゃなく、それまで教えてくれた事への感謝の言葉を繰り返してた。
そして、自分の心が弱いからこのまま師弟関係を続けられないだけ、と自分を原因にして語ってた。なんて人だ。

しかもこれ、我慢して無理に言ったんじゃなく、本気でそう思ってたんだよね。
って事がハッキリしたのがその約3年後の荒川静香さんとの対談(フレンズプラス)。

対談中、英語が自由に話せるようになったら誰と一番しゃべりたい?って話題に、高橋くんが屈託なく「ニコライ」って答えた時にビックリした。荒川さんも驚いてたけど。
なんで?と聞かれて、プログラムに対してどんな風に考えたりしてるのかもっと詳しく聞けたらよかった、みたいな事を答えてたと思う。

けど、そのモロゾフさん、訣別の原因をつくっただけじゃなく、その後もなんのかんのと高橋くん陣営に刺のある言動をしてた人だと思うんだけど…。そんな事があったのにその言葉なのか?ちょっとわだかまりなさ過ぎないか?ってゆうかもしや相当お人好し?…と当時は思ったりしたりしなかったりもしたような(笑)。

でもそんな彼だったからこそ、その後モロゾフからの熱烈アプローチでの電撃の再タッグになったんだな。コーチとしてではなく、チームのアドバイザーに迎えるという形だったけど。

再タッグ宣言の会見ではモロゾフ氏がもう蕩けそうに嬉しそうで幸せそうで、その後もソチまで(ソチ後も)ずっと本当に心から高橋くんを大事にしてるのが折に触れてよく分かった。
お人好しとも思える程の、高橋くんの人を大切にする性質が、その後の幸せな関係を生んでるんだなあ。そうゆう人なんだなあ。やっぱりカッコイイ。

自分だったら、高橋くんのような態度を取るのは難しいだろうな。再結成とか絶対無理かも。
でも高橋くんのその姿勢が周りに幸せを運んだんだって感じる。すごいなあ。尊敬します。すごい人だ。

怪我後の復帰シーズンの4回転ジャンプの挑戦

右膝の前十字靭帯断裂および半月板損傷という大怪我から、たった1年で復帰し、そのシーズンのオリンピックで日本男子初のオリンピックメダルを穫った事はよく知られてますが、この大怪我がモロさんと別れたそのすぐ後。
かなりメンタルが落ちてたとご本人が述懐する時期の怪我で、そこから手術・リハビリを経ての復帰。

自分のしびれどころは、このシーズンの四回転ジャンプへの挑戦、です。
膝の前十字を怪我したら、普通は跳んだり捻ったり出来るだけしないようにという医師から指示が出るそうですが、フィギュアスケートはめちゃめちゃ跳ぶしめちゃめちゃ捻るし、その最たるもんが四回転ジャンプですよね。多分。
それをまだボルトが足に入ってる状態で、何度でも挑戦してた。

当時のルールでは4回転は失敗するとめちゃめちゃ減点されるのに、綺麗に飛んでもすごく加点される訳ではない。
ハイリスクローリターンの4回転と言われていた時代。
怪我明けの万全でない足で挑戦して、無駄に点数を引かれるのは戦略が悪いという外野(モロさん)の意見もあった。

実際、手術後リハビリを経てリンク練習を再開した頃は、シングルジャンプから練習を始めて、今までどうやって跳んでたのか分からないって程に跳べなくなっていたらしい。
跳んで降りるという動作に大切な、膝のバネを失ってる中で一からのジャンプの立て直し。
シーズン中、根気強く挑戦していたけど、一度も成功してなかった。
当時の採点ルールからいけば、四回転を回避して丁寧にまとめた方がきっともっと点数は出た。

それでも高橋くんが跳ぼうとしたのは、それが彼の理想だったから。
4回転も含めすべてがまとまった演技を見せたいと言ってた。
今出来てるかどうかより、そうありたいから。
怪我の前には跳べていたジャンプだから、取り戻したいって気持ちもあったんだろう。

回避した方が確実にメダルが狙えるという声はかなりあったようだけど、高橋くんはずっと「4回転に挑戦します」と言い続けて実行した。

結果的にそのシーズンには4回転は戻らなかったけど、あの時攻め続けた姿勢があったから、その後また跳べるようになっていったんだろうし、損得の計算じゃなく、ただひたむきに自分の理想を追求する姿勢は、演技への情熱になって伝わって来た。

理想を追う情熱=高橋大輔のスケート、でもある。私にとって。
好き。たまらん。カッコイイ。
あの姿見てて心底 応援したいと強く思った。

 

さて

前回に引き続き書いて来た「私の好きな高橋大輔さん話」。
今回も既にドエライ長文になってますが、あの、まだ、終わらないんです。
まだってゆうかまだまだ…。

長い文をここまで読んで下さった方、本当にありがとうございます。
そして、驚愕のお知らせかも知れませんが、

そ、その3に続きます…!!!(マジでか)

その1は高橋くんの演技+人間性の魅力
その3は続・好きエピソード