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「高橋大輔」を好きなだけ語るブログ

私の好きな高橋大輔さん話

3月16日は高橋大輔さんの誕生日。

誕生日と言えば誕生を祝う日だ!
誕生日じゃなくても高橋くんの誕生は、息を吸う度と吐く度くらいの頻度で祝いたい自分ですが、とりあえずこの誕生日という大チャンスに、高橋くんの誕生を全身全霊で感謝したくなる理由:好きなポイントを思いつくまま書いてみたい!

その前にまずは
高橋大輔さん
お誕生日おめでとうございます🎂

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生まれて来てくれた大輔さんと高橋くんのご両親と高橋家のご先祖様となんか今につながる色々な世界の神秘のすべてに、心から感謝します!

スケートの演技

何をおいてもまずは高橋くんのスケートが好き。これがすべての始まり。

音楽との一体感

自分にとっては 高橋大輔のスケート=音楽
もう音楽と高橋くんとどっちがどっちかわかんなくなるくらい、完全に一体化する時がある。ホントです。
最初に自分が落ちたノクターン(2005年グランプリファイナルのエキシビション)で既にそうだった。当時の彼は19歳。この力はもう天性なんだと思う。

後々段々分かって来た(気がするんだ)けど、高橋くんのあの音楽への親和力は、多分彼の性格に因るんだな。

すごく気を使う人。気を使い過ぎる程気を使うと、近しい仲間にも言われる人。
十代からの親交で我こそ親友だと言う人が、あんなに優しい奴はいないという人。
相手の立場や気持ちをすごく考える。それは色んなインタビューの受け答えからもよく分かる。
他者への想像力の深さが通常の域じゃない(と思う)。
良くも悪くも空気を敏感に読んでしまうように見える。

自分以外のものに対して寄り添って共感する力がすごく強い。それがあのとんでもない程の音楽への共鳴になるんじゃないかな。
音楽との境目がなくなるくらい混じり合ってしまう。比喩のつもりじゃなく。音楽の核みたいな部分と高橋くんの動きが完全に溶けあって、一緒になってこっちに迫ってくる。

動きと音楽に必然性があってすごく気持ち良くて、でも全然予定調和な動きじゃなく、ってゆうか、全く予想できない動きで来るってトコがまた面白いんだな。
何を求めてるのか自分じゃ分からないまま心底求めてたものが、音と一緒にフワッと目の前に差し出される感じ。
瞬間で落ちる。その連続。それを何度も経験させてもらってきた。
で、自分は中毒になったのかも、高橋大輔って人のスケートに。

音楽に自分を明け渡せる。そう見える。

音楽に対してだけじゃない。観客にも自分を開け放つんだと思う。
音楽と溶け合った自分の感情を会場の観衆の前で曝け出せるから、伝わり方が半端ない。TVの前の自分にも尋常じゃなく伝わってくる。
もうスゴイしか言えない。怖いくらいスゴイ。

「相手を想像して寄り添う」だけじゃなく、この「自分をさらけ出す」力も、普段から彼が持ってる特殊能力 独特の力だと思う。

高橋くんは基本的に気遣いの人だけど、近しい人には遠慮なくぶつかってくタイプらしい。
「人とぶつかり合うのが好き」って以前話してて(井上芳雄さんとの『SWITCHインタビュー』NHK・2016年)、すごく驚いたけど、長光歌子コーチとも本人達曰くしょっちゅう喧嘩をしてるらしいし、喧嘩するほど仲が良いを地で行くような二人の関係がいいなと思う。
渡部トレーナーにも気持ちをぶつける事が多かったと聞くけど、どちらとも長年固い信頼関係で結ばれてるのがよく分かる。

自分をさらけ出してぶつけて、相手にもぶつけられる事を好きって言えるのって、すごく相手を信頼してるって事でもあるんだろう。

氷上で観客の前で自分をさらけ出せる力は、そうゆう所からも来てるのか。
しかもこの場合は、信頼した相手だけじゃなく、不特定多数が相手だ。
守りがない分傷つく機会は多くなるのに。その覚悟もした上で、それでも必要だと思うから出来るのかな。
心底スゴイ…。

そんな人だから、時にこっちが瞬間で飲み込まれる威力の表現が出来るんだなあ。
これを度々見せてくれるから、もう全然目が離せないし、いつだってスタンバイして凝視しておきたい。
現役復帰後の今は、また少し出し方が違う感じもする。変わらない部分と変わった部分。これからどうなっていくのかますます楽しみです。

ポジションの美しさ

これは年月をかけて作り上げた努力の賜物なんだろう。
あんなに自然に美しい状態のポーズを絶え間なく作れるのって、もうほんっとーに訳が分からない。
不自然なはずなのに自然
全身の筋肉を使ってるんだろうに、力が抜けて見える。
バレエとか見てても時々あるけど、すごく美しい姿がリラックスした楽な姿勢に見えるやつ。

本当は多分、作り込んで磨き抜かれた姿勢だからこそ美として映るんだろうに、見てるこっちを構えさせない。自然にすーっと目に入って来て気持ち良くなって、その感覚がいつまでも心に残る。

これも、高橋くん自身の性質とすごく関係がありそう。
高橋くんは、自分自身を客観的に観る事にすごく長けてる人だと思う。だからあんなにどっからみても美しい形を作れるのかも。ものすごく冷静に、自分を含む全体を客観視する人だ。

音楽に入り込んで演技をするし、美しく見える事を意識して動くし、私生活でもオシャレに気を使うから、若い時なんかは特に、一見ナルシストにも見えやすかったかも知れないけど。

冷静に冷徹に俯瞰で人間を見るから、例えば一つの動き方がどんな印象になるか考え抜いて、高橋くん自身がこうありたいと思う形に、常に自分を持って行こうとしてるように見える。
少しでも見目良く映るように、自分の理想に近づく為に努力を重ねて、厳しい審美眼で自分をジャッジする。
そうやって、あの独特の美のスタイルが磨き上げられたんだろうなあ。
客観視するのは姿形だけじゃなく、立ち居振る舞いも。

ただ、高橋くんの己への理想がめっちゃ高くて、見る目が厳しいもんで、自己への評価は度々低くなりがちだった気がする。足りないと思う事ばかりに目が行きがちってゆうか。
高い理想への到達を求め過ぎて、自信を失くす事も多かったのかな。周りから見たら十分スゴいんだけど。

最近は、自分の事も良い所は良いってちゃんと評価してる感じがする。
良い所悪い所をバランス良くありのまま見てる感じ。余裕があるというか。相応の自信がついてきたのかな。嬉しい。

引退中、極端に自信を失くしてもがいたりもしたからこそ、今の彼自身の輝きが本人にもちゃんと感じれるのかも知れない。わかんないけど。
自分を外側から冷静に見る思考は変わってないけど、自分自身を不当に低く見積もる事は今はあまりない感じ。これはファンとしてはめちゃめちゃ嬉しい✨

表現の余韻と余白

表現に余白を感じるのも、自分の好きな高橋くんの演技の特徴の一つだ。
あんなにどこまでも美しく構成されてるのに、遊びがある。抜けがある。自由な空想の余裕がある。

LOCARIの記事(https://static.locari.jp/30/)によれば、ご本人は動きの余韻を意識して大切にしているそうだけど、なるほどなって。あの抜け感が余韻なのか。動きそのものの余韻もあるし、表現の姿勢としても余裕がある。

よく取材で「これはどんなプログラムですか?」と聞かれてる事があるけど、高橋くんはいつも「観る人が感じたままに見てくれれば」と言うだけで、解釈について語ろうとはしない。
思いを届ける事に全力を尽くしてるけど、受け取り方は相手に全部委ねる

多分彼自身、プログラムの解釈を一つに決めようとはしてなさそうで、その時々の感覚の方を大事にしてるのかなと感じる。それがあの、何とも言えない濃密な余白に繋がるのかな。
彼の演技から自分にとっての世界がイキイキと広がってすごく楽しい。

この高橋くんの、決めつけない、押し付けないというという性質は、普段の姿勢からもよく見えて、特にそれを感じたのが、神戸チャリティー開催時の高橋くんの言葉達。

神戸チャリティーとは2011〜2015年までの5年間、高橋くんと宮本賢二さん、本田武史さん、田村岳斗さんが発起人になって続けられた、東日本大震災のチャリティー演技会だ。
その中で特に印象に残った高橋くんの言葉がある。
ホントは全部書きたいけど抜粋して3つだけ。

「アスリートとして、人間として何ができるか…。そんなこと、言える立場では全然ないけど、スポーツと言うジャンルが生み出す力は、心をきっと一つにしてくれると信じ願いたい。」(2011年最初の演技会の告知)

「少しでも協力することでたくさんの復興への気持ちがあるんだよっていうことを知っていただければ…。勇気づけようとかそういう大きなことは思っていなくて、そんな気持ちがあるんだよってことが伝わって欲しい」(2013年会見)

「僕自身が被災地に協力できればいいな、と。思いを届けるつもりはない…といえばおかしいんですけど、気づかれなくても、知られなくても、続けていければと思っています。届けるというよりも勝手に協力できることはしたい。そういう気持ちでずっといます」(2015年会見)

その時々の高橋くんの言葉から、被災者の方々に役に立ちたい、寄り添いたいと願う気持ちと、でもそれが押し付けがましくならないようにと気遣う人柄が、とてもよく分かる。

相手への想像力が豊かで深く共感する感受性、でも自分の想像力には限界があって分からない事もいっぱいあるって理解してる冷静さ
沢山の近しい人達に、高橋大輔は人格者だと言われる所以だろうな。
人としてカッコイイ。優しい。見習いたい(けどちょっと並大抵じゃないねコレ…)。

※神戸チャリティーの情報を網羅した素晴らしいサイトのリンク⬇️

https://kobecharity-arch.com/

演技と人間性

ここまで、まずは好きな演技のポイントを書き始めたつもりが、やっぱり普段の彼の人間性と密接な関係があるんだなと、書いてみて改めて気がついた。表現ってやっぱり、驚く程その人そのものが出るんだな。

役を演じるタイプの表現だとまた違うのかも知れないけど、フィギュアスケートみたいな音楽を表現するのとかは、すごく直接的に演者の性質が見える気がする。面白い。

アスリート的なストイックに心身を鍛錬する面も、もちろんあるんだろうけどそれよりもやっぱり、アーティスト的な精神の持ち方の方が自分には目立って見える。

美しいもの、心に引っかかるもの、カッコイイものに普段からアンテナが伸びてて、好奇心旺盛で斬新で尖ったセンスのものも好きで、でも素朴なものが好きな感性もあったり、すごく振り幅が広い。

新しいものを見たり人に出会って刺激を受ける事が好きで、直感を大事にする。

人見知りなのに寂しがりで人が好きで、シャイだけど仲間と賑やかに騒ぐのが好きで、気遣い屋だけど人とぶつかるのが好きと言う。

綺麗なものが好きで楽しい事も好きで、悲しい歌が好きで暗いものに惹かれる。

感覚が繊細で感化されやすそうで、不安定な部分もあるけど、そうゆうことの全部が演技の奥行きになって、これが自分にとってたまらない魅力になってるんだなと思う。

演技の好きなポイントもまだまだ細かくあるけどとりあえずこの辺にして、次はオフアイスでの好きなエピソードを書きたいんですが…。

なんか既にエライ長さになってる。
まだ書く気満々だし、このまま続けるのはさすがに長過ぎる…

って事で

投稿を分けて第2弾に続きます!
誕生日だから、お祭りって事で、うん、長過ぎでもいい事にしよう。

次は主にオフアイス男前エピソード編、です。