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「高橋大輔」を好きなだけ語るブログ

高橋大輔選手の競技復帰 今こそのタイミング

今は、高橋大輔選手の新しい競技用プログラムを見られる日がただ楽しみで仕方ない自分ですが。

現役復帰の第一報を自分が見た時に、まず最初に浮かんだ言葉は、
なんで今更?
だったような気がする。
ごめんなさいー!

や、あの、とりあえず、え??って思って、
そこで一旦思考回路が止まって必死で高橋くんの公式の言葉を何度も読んで。
そしたら簡潔な文章からでもその本気が伝わって来て、気づいたら自分でも何の感情だか分からない涙がボロボロ出てきて、で、そのうちそんな事は忘れてたけど。

でも発表から暫く経ってちょっと落ち着いて来たら、そうか、だからこそのタイミングなんだってだんだんしっくりきました。

「やり切って終わりたい」
これは確かソチオリンピックまでの続行を決めた時、2011年にも言ってた言葉。その時もやっぱり、結果がどうであれ、と言ってた。
結果がどうであれやり切って終わりたい。

でも前回の現役最後となったソチ五輪では、「やり切って」は終われなかった。

自分に厳しい本人はモチベーションをその原因に挙げてたけど、外から見てる分にはやっぱり一番の要因は右膝の古傷と、全日本まで1ヶ月を切った時期での再度の怪我だと思う。
右脛骨の骨挫傷。それを回復できないまま全日本フィギュアに強行出場するしか道がなく、多分それで更に悪化させてしまった。

全日本後からソチ五輪までの練習も壮絶な練習量だったと、ごく最近になって周囲の人達が明かした事で知った。選ばれたという使命感で、選ばれなかった人の為にも必死だったんだろう。でもその方法がかえって、足の回復を遅らせたのかも知れない。

ソチオリンピックの会場に緊急に日本から医師に来てもらって、膝に溜まった水を抜いてもらう必要がある程の状態で本番を迎える事になる。TVが入っていない所では歩く事も人の肩を借りていたと後で知った。そんな人が、氷の上でジャンプをしてスケートをする。

オリンピックで競技を終えた後の取材にこう答えていた映像がある。

今出来る精一杯はやったけど、やり切ったかと言われたらやり切ったとは言えない。

そりゃ…そうだろう。
ジャンプやステップで酷使される足がそんな状態で、あれだけ理想の高い彼が思い描くやり切ったに到達できる訳がないもの。
それでもあのオリンピックで、沢山の人の心を打つ美しい演技を出来たのは、彼のそれまでの培ってきた地力と、奇跡を信じる底力だったんだと思う。

ただそれと本人の納得感とはまた別の話だ。
「やり切っては終われなかった」という言葉はその後も度々聞いた気がする。

そして今回、「やり切ったと思える演技がしたい

高橋大輔という人にとって、一つ一つをやり切るって事が何より大事なんだな。そこに納得しないと次に向かえない。前に進むために。

ソチ五輪以降から現役復帰まで

2014年世界フィギュアスケート選手権の棄権

今回の会見でも、怪我で出られなくてスッキリしてなかったと言及してた、ソチ五輪後の日本での世界選手権。

長光歌子コーチは、その出場を自分が止めてしまったと後悔しているような節があるけど、自分はあの時出ないでくれて良かったなと思ってる。

ドクターストップが出ている足の状態で滑るより、とにかく少しでも早く治してほしかった。
それにオリンピック直後のどこかフワッとした何かが抜け出してしまったような顔つきも心配だった。その状態で集大成にしてほしくなかった。
だから欠場のニュースはホッとしたし、その後休養〜引退になっても、あの時出ていてくれたら、とは全然思わなかった。

でもこれは、彼の本気の演技が楽しみで仕方ない、身勝手な自分の勝手な心配と願望で、もしもあの時出場してたら、やっぱり心に残る素敵な演技が見られたのかも知れないけど。

ただ、日本の会場で彼を盛大に送り出したかっただろう人達の思いを考えると…。
今までずっと、きっとどんな状態の高橋選手も愛情いっぱいに受け止めて来たんだろう人達の、最後の試合を目一杯応援して送りたいという思いはその時は叶えられなかった。

ご本人もそれをすごく気にしていて、確か引退を決めた時、ファンの人にこれが最後って試合を見せられなかった、こうなるならあの時に無理してでも出ておけば良かった、という感じの事を言ってた。
応援される事がモチベーションになる選手だったし、それまで応援してきてくれた人達の事も考えずにはいられないんだろうな。
なんせバナータオルの文字が「D1SK+」で、意味はチーム大輔の事、はファンの方の事って言う人だもんね。

今度こそ、目一杯楽しく応援して送り出せますように!!!
そして新しいファンにもこんな素敵なチャンスをありがとう!!!

休養ー引退ー留学

世界選手権の欠場から休養の半年くらいは、今思えば見てる自分も辛かったかも。
周りへの感謝巡業なのか、あちこちに呼ばれてトークショーやら何やらニコニコと、苦手というTVにも時々出てサービスをしてくれていたけど、ひたすら穏やかで目に力がないように見えた。
アイスショーに出れば、やっぱり高橋くんならではのきらめきを見せてくれてプログラムの世界に入り込ませてくれたし楽しかったけど、どこかヒリヒリした痛みもあった。

引退発表から渡米までの間も…。本当に弱ってる姿は絶対に見せてくれないけど、口で言うだけなら割と正直に、気持ちが弱ってる事もスケートが嫌になった事も明かしてくれる高橋君。

それでも自分は、この人がスケートから離れるなんてあり得ないと思ってた。スケートに対して気が乗らないのは一時的なもんだと思ってた。

この時期でもアイスショーで見せる彼の演技は、ハマった時の力はとてつもなかったし。

実は、自分がさらに高橋くんのスケートにはまり込んだのは、この頃スイスであったアイスショーArt on Ice」で、ネリー・ファータドさんとのコラボを動画で見た時なのです。
その時々で歌い方も雰囲気も自在に変えるネリーさんと、見事なライブ感でコラボを見せてくれた。ネリーさんの歌とバックのバンドと、高橋君のスケートで完全にライブセッションになってる!こんな才能もあったのかと度肝を抜かれた。ツアー後半になればなるほど、あれはちょっと、とんでもなかったよ!

だから今の辛い時期を過ぎれば、またいっぱい素敵なスケートを見せてくれると、それが当然の未来だと思い込んでた。能天気だったな。

渡米直前の神戸チャリティー演技会の時、ニュース映像で演技会を終えて取材に応える高橋君のを見た時に、自分の思い込んでる未来は実は何の保証もない事に初めて気づいて、凍り付きそうな気持ちになった…。あの時の恐怖感、不安感は、なんて表したら良いか分からない。

高橋君は穏やかだった。今まで語ってきた以上のはっきりした事を口にした訳でもない。ただ初めて見る顔だった。

目の光が全然違う。

本気で戻って来ないかも…???


その後すぐ留学の為に渡米した時はまずホッとした。しばらく日本を離れてのびのびしてほしかったし、目一杯今までと違う時間を楽しんでほしいと思ってた。今まで出来なかった事をして、また活力を蓄えてほしい。元気になってほしい。本当の意味で笑顔になってほしい!本気で笑っててくれたら後はもう何でもいい!!!
そう思いつつ、あの才能が二度と見られないんじゃないかという可能性に、ずっと心に穴が開いてるみたいだった。

だから自分の意志で思ったより早く帰って来てくれたのは、めちゃめちゃ嬉しかった!

帰国してからの仕事

ニューヨークでの留学から帰国して1年目

戻って来て、スケートへの思いは白黒はっきりつけずに、グレーのままとにかく始めてみるという言葉にホッとする。嘘がない感じがして安心してそのまま受け取った。とにかくやろうって気にはなってくれた。後は待つだけ。

アメリカの一流プロダンサー達とアメリカのスケーター達でダンスの舞台をした時は、久しぶりに目に輝きが戻ったのが何より嬉しかった。自分の限界に挑戦する、そのギリギリの目をまた見られたのが嬉しかった。シェリル・バークさん、高橋君にオファーを出し続けてくれてありがとう!!!

リオオリンピックのキャスターもやってたけど、外側からオリンピックを見て何を感じてるのかな〜と、そればっかり気になったな。全力で応援して感動しっぱなしの高橋くんを見るのは楽しかった。

帰国2年目は、高橋くんのやる気が強くなった気がして、俄然自分も欲が出て、途端に期待が膨らんだ。(笑)

歌舞伎とのコラボになるアイスショー氷艶で、源義経役を演じ切った時は、演技者としての新しい可能性に胸が躍った。「プロとして」と決意をはっきり語ってくれたのもこの氷艶のプログラムでの言葉が初めてだったんじゃないかな。
前年のグレーだった心境からの変化を感じて嬉しかった。

前の年から引き続いてのNews Zeroの月1でのエンターテイメントの取材を通しても、毎回何か発見や刺激を受けている事が伝わって来たし、1年目の緊張した様子より、楽しんでいる部分が大きくなった気がして自分もワクワクした。

ダンスの舞台Love on the Floorの再演では、陸のダンス技術をもうかなり自分のものにしてる事に驚いた。技術がついた事でよりのびのびして見えて、その進化が眩しかった。ダンサーとしての能力を飛躍的に伸ばしながら、ご本人は、やっぱり自分にはスケートだって笑ってたのが、何か前向きな気配がして嬉しかった。

秋にあった競技サイズのリンクで滑るアイスショー「カーニバルオンアイス」で見た「Krone」は忘れない!
引退後から今まで他のプログラムも、いつも何かしら新しい驚きがあったけど、これは飛び抜けてなんかが違う。試合の時にもあったような、でもやっぱり初めて見るような、THE・高橋大輔で、でも何かが劇的に変わったようなドキドキ感。これはもうすぐ大爆発くるかも〜と、またワクワク。

フジTVのフィギュアスケートのナビゲーターや冬季オリンピックキャスターは、現役の選手達を側で見て取材して刺激を受けて感動してる様子にあったかい気持ちになったな。
平昌五輪のリポートを書くサンスポのコラムでは、五輪を取材しての感想の後「もう一度きちっと向き合って、自分のスケートを取り戻したい。スケートがどういう存在なのか、平昌五輪が改めて気づかせてくれました。」ととても珍しく自分の決意を書いて文を結んでる。
1年半前のリオ五輪の時も感動はしてたけど、そこから自分の事を見つめて自分の決意を公に語るようになるなんて!
何かが始まるかも!

帰国1年目と違い、何かとスケートと口にするようになった高橋君。スケートに対する言葉がどんどん積極的になってる事に、くるぞ〜新生・高橋大輔くるぞ〜と、こっちも一気に浮かれていく

3月でZEROのニュースキャスターを辞めて、フジTVのフィギュアシーズンも終わり、途端にテレビへの露出が止まった。
公式な情報が途絶えた代わりに、本人がたまに、24時間限定のインスタストーリーに、何やら決意に満ちた断捨離の様子や、かつて絶対やらないと言っていた手料理の修行やらの画像をアップしてくれた。
引き続き何かやる気満々な様子に、何だろう、今度はどんな驚きが待ってるんだろうってソワソワする。

そのうちにフランスでブノワ・リショー氏に振付をしてもらってるという情報が入って、欠片動画がフランスにいる誰かのインスタストーリーに上がる。ほんの短い動画だけど、動きのキレの良さと新鮮さに目が奪われる!
これには!もうどうしたって!ワクワクが止まらない!次の発表はいつなんだー!ってジリジリして待ってた。

でも!まさか!
現役復帰!!!!!!(笑)

自分のスケートに向き合う方法

思えばここまで、どの仕事も全力だったな。
悩んでる時さえ全力だった。全力で悩んでた。
遊ぶ時も全力。
新しい仕事も全力だった。
そこまで…ってくらい全力だった。
なんでそんなにゼロか百

一歩一歩、自分の力で片付けないと気が済まないんだろうな、きっと。

そうやって悩む事も、ダンスの舞台も本人は苦手なTVの取材もナビゲーターも、どれも全力で向き合ったからこそ、スケートこそ自分の本分だと実感していったのかな。
でも全ての仕事に全力過ぎて、本分のスケートの時間が削られちゃったという…。

今度は全力でスケートをしたい。

そう思うようになったタイミングで、
全日本の後輩達の、競技で勝つためだけじゃない戦いに感動した、と。

「競技は勝って期待に応えるため」という気持ちの枷がなくなった。

で、

そうだ。競技に復帰しよう

みたいな????

その思考回路のぶっ飛び方に、やっと落ち着いた今となっては笑えてくる。でも、こうやって過去を振返って見たら、確かに必然の選択のような気もしてくるから不思議。(笑)
まあ自分は何回時間を巻き戻されても、絶対に気がつかない自信があるけど。

今後本気で「スケートのパフォーマーとして生きていく」為に、まずは競技生活でやり切れてなかった部分をもう一度やり直して終わらせたい。
そこで全力を尽くして、それから次のパフォーマーとしての目標に進みたい。

なるほど。
だからこそ、これまでの時間があったからこそ、やれる事なんだって気が、なんかしてきた!