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「高橋大輔」を好きなだけ語るブログ

氷艶2024の感想 カケルと高橋大輔さん

自分が観た氷艶2024-十字星のキセキ-最終公演から、今日でなんともう1週間!?
そんなに経ってたとは!何やっても頭の中で氷艶が巡ってて気づかなかった。それくらい今も現在進行形で氷艶に浸ってます。
今浸ってるのはもっぱら高橋大輔氏が演じたカケルについて。

氷艶2024の感想
ストーリー妄想篇

ところで、高橋大輔さんは、彼が演じるカケルを「自己犠牲」の人だと語ってましたよね。
最初に自分がその言葉を見たのは、確か5/21発売の雑誌ショパン6月号かな?主演の氷艶について尋ねられて、カケルのテーマとしてそう答えてたと思う。
その時からずっと、「自己犠牲」ってなんだろうって私も考えてる。

自己犠牲。実は私はこの言葉が苦手だ。
いえ!行為としてはとても美しいと心から思うのです!
ただ「犠牲」という言葉に伴う痛みがどうにも辛くて、聞くだけでしゅんとなってしまうのです。。チクチクする。
でも高橋大輔さんが演じたカケルには、その言葉に自分が感じるあの痛みを、不思議と感じなかった。そこにすごく救われた。

高橋くんは自己犠牲についてこうも言っていた。
自分の場合は「あなたのためにやる」じゃなく「自分がやりたくやった」と思うようにしていると。
これはもう、そうだよね!って膝ガンガン打っちゃう嬉しい言葉でした!
自己犠牲に限らずそれは私にとっても一つの指針だし(出来るかどうかは別として)、何より高橋くんの行動のそこかしこでそれを感じて何度も感銘を受けてきたことだ。

たぶん、だからなんじゃないかと思う。
そんな風に考える高橋大輔さんが演じたから、私はカケルの献身に痛ましさを感じずに済んで、ただ真っ直ぐに生きようってメッセージを受け取ったんじゃないか。

十字星のキセキのカケルは、人に優しくて人に真摯に寄り添おうとする人だけど、彼は自分を蔑ろにしてる訳では決してなくて、寧ろ自身にとっての幸いを求めて行動してると思えたから、観終わった後の気持ちが爽快だったんだと思う。

カケルが自分の夢への歩みをセーブしてでもユキを支えたいと思ったのは心からの気持ちだろうし、優先順位が他者になっているように見えても、それは彼自身のそうしたいと願う気持ちに従った行動で、それが彼の思う幸いだったんだよね。

避難のための車を家族に譲って、自分は波に流されてきた青年トモノ君もそう見えた。躊躇はあっても最終的に下した決断には、自身への矜持がある。

高橋くんの今までの行動も、実は外から見てて何度もそう思った事がある。
もっと自分を優先すればいいのに、もっと周りに怒ってもいいのに、もっとうまくやればそんな損はしないのにって。
でもそれをしないのは、彼の中でもっと大事にしたいものがあって、それを守るのが彼の矜持なのかなと。

高橋くん自身は、本読みの段階で「カケル」は自分の中にはないキャラだと言ってた。今までの氷艶と違って自分の中にないから演じるのが難しいって。
でも私には、いかにも高橋大輔さんらしく見えました。というか私には過去一高橋くんだと思ったくらいなんだけど、え?違いました?

確かに高橋くんは自身の利己心をよく隠さず語る。でも大事な局面での彼の言うそれは、結局「誰かの役に立ちたい」とか「自分はこうありたい」いう想いを、利己の側面から捉えてのことが多い気がする。(導き手という役回りも、本人に自覚はなくともすごくらしいなって私は思う)
利己と利他は表裏一体なのかな。うーんまだちょっとわからない。
でも高橋くんも「自分を大切にできないと、人を大切にできないなと感じた」と言っていた。他人に見える結果と見えない動機。

一人の人間にも色んな面があって、どんな時も他者を優先する訳じゃない。
誰かが悲しむと分かっていてもどうしても譲れないものや守りたいものだってあるし、その狭間で逡巡することだってある。
結局は自分が何を一番大事にするか、なのかも。

本当の幸いを探し続け、求め続けたカケル。自分の中で何を豊かにしておくのが大事なのか考え続けている高橋くん。やっぱりダブる。

カケルは自分とは違うと言っていた高橋くんだけど、その高橋くんがカケルを演じたことでキャラクターが膨らんだというか、私にとってすごくイキイキと説得力を持って見えてきたのって、なんだろう。
きっと高橋くんが、真摯にカケルに向き合って、自分の中に納得できるまで落とし込んで、答えを出した結果を観られたから、かな。
それってとても良い役者ってことですよね?(と「にーやん」に聞きたい)

銀河鉄道での悪戯っ子のようなぽわぽわ可愛さも、自分には何もないと落ち込むお爺さんの幸いを願いリンゴ渡す優しさも、こども達への慈愛の眼差しも、友人のために身を挺して多勢と戦う勇敢さや頼もしさも、相手が気づいてない大事なものがあったら力を尽くして相手に伝えようとする熱いハートも、全部やっぱり高橋くんの中にあるじゃん〜〜〜〜って思って見てましたん。

原作と違って、銀河鉄道でのカケルに憂いは見えない。
カンパネルラの場合は、友人を助けたことは後悔してなくとも、カンパネルラを喪った母親の悲しみを思ってとても辛がっていた。列車の中でジョバンニや乗客達と言葉を交わし様々な情景を見るうちに、彼の中で死への準備を整わせていったような気がしてる。

なので、銀河鉄道は成仏というか、解脱のための旅路なのかなと私は勝手に思っていているのだけど(全然違ったらすみません賢治大先生)、十字星のカケルは既に解脱したような清々しい明るさがあった。

カケルの心残りはトキオだけで、そのトキオは目の前にいて一緒に列車に乗っていて、彼を救って送り返すのがカケルが列車に乗ってる意味だったんなら、あんなにずっとキラキラしていた理由もわかるような。
トキオの幸いのために、カケル自身の幸いのために、あんなに明るかったのかも。(いやただの天然かも知らんけど)

ガヤガヤと乗り込んできた楽しそうな婆ちゃんズや、ケンタウロスの人達の底抜けな明るさも、すごく良かった。何かをきっちり通り抜けてきた人の、強くて優しい明るさだった。
トモノ青年達の力強さも、ユキの優しさと凛々しさも、カケルの無限の慈愛も。

命のリレーか。
生きて死んでが宇宙の営みの中で無限に繰り返されて、生死そのものに善悪はないし意味とかないし、でも、なんか、なんか、生きてるうちは生ききろうって、自然に思った。

そうそう。「犠牲」って言葉を、私はどこか辛く思っていたけど、公演終、検索した辞書によれば「一層重要な目的のために、自分の生命や大切なものをささげること」(Oxford Languages) と出てた。

まだちゃんと分かったとは言えないし、私はこれからもまだ「自己犠牲」の意味を考え続けると思うけど、十字星のキセキを通して、今まで思っていた言葉の印象からは大きく変わった、というか、広がった。

このお話に出会えて良かったです。
本当に素敵な物語を、ありがとうございました。

ところで、高橋くんってイイ役者だよなあとシミジミしていた今、
奇しくもこのタイミングで、高橋大輔映画俳優デビューのニュースが入ってきた!

銀盤から銀幕へ!ですって!
いや銀盤にもずっと居てもらいますけどー(笑)

映画は「蔵のある街」https://kuranoarumachi.com/

役柄も美術館学芸員とかめちゃ似合いそうだし、何となくカケル要素もある匂いがする。楽しみ楽しみ楽しみ(ソワソワ)
この夏クランクインの映画挑戦の前に、氷艶で「にーやん」こと福士誠治さんに現代劇の演技指導を受けられただなんて、なんという運命!

は〜楽しみ!