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「高橋大輔」を好きなだけ語るブログ

高橋大輔選手の”自分のためのスケート”

したいようにやってみよう(深イイ話)

今頃ですが「深イイ話2時間SP」(7/22放送)を見返して、「評価が下がったとしてもいい、自分のしたいように一回やってみよう」って高橋大輔さんの言葉に唸る。
番組での彼の”深イイ話”のトコ。(ちょうど今日9/7再放送やってたらしい)

それまでは積み上げた実績を傷つけないよういつも結果を求めてたけど、今は自分の表現したい事を最優先に考えられるようになった、って。

深いなあ

「自分のしたいようにやってみよう」って、氷艶の台詞にも似たのがあった。
「私は私のしたいようにする」ってやつ。
序盤のやんちゃ盛りの光源氏が頭中将に言った台詞だ。

でもあの時の光源氏の言葉と、この高橋くんが言ってる言葉は、同じなようで同じじゃない。
字面は同じなのに、意味が違って聞こえるのがすごく面白い。

姿勢が違うのかな?心構え?そこまでの道のり?何だろう。

「自分の為にスケートをする」

高橋選手は競技復帰以降、よくそう話してるけど、彼が復帰して自分が一番(は決められないけど)嬉しかったのは、高橋くんのその姿勢かも知れない。
すごく有難くて勝手に安心して、めちゃめちゃ嬉しい。

前回の現役終盤は、いろんな周囲の思惑や求められる結果に追い詰められてたんだろうなって、深イイでの言葉からも思う。
だろうなって言うか、実は私も、その追い詰めてる方の一人だったんだろうな…。


そう思ったキッカケは、この深イイの話と氷艶の舞とビートルズメドレーの記憶。
なぜかこの3つが重なって記憶を辿るうちに、6年前の自分を大反省しました。今頃か。

氷艶の最期の舞とあの日のビートルズ

まず、氷艶の光源氏が、最後に絶望して慟哭した場面。

実はあの時観客の自分の感じた辛さが、あの全日本のビートルズメドレーで感じた自分の苦しさとどこか被る気がした。

これは自分の脳内だけの妄想かと思ってたら、自分以外にも氷艶の慟哭の舞と、全日本ビートルズを重ねた方の感想があってびっくり。
絶望からの慟哭と、絶望からの感謝。状況は違うのに。
そうゆう方結構いるんでしょうか。

自分の場合、演技そのものの美しさについてというより、自分の心の痛みという感傷の方が被ったので、その方の話とは違うのかも知れないけど。

ちょっと前までは、あの全日本の演技があんなに美しくて崇高で、でも受け取るのが悲しかったのは、一つには、高橋くんが他人の為に滑ってるように見えたからだと、そう思ってた。

オリンピックはあなたの目標じゃないか。
もっと自分の事だけ考えたっていいじゃないか。
なのにこんな土壇場で、なんでそんなに周りへの感謝ばっかりなんだーって泣きながら思って、でもそんな彼の心がすごく綺麗で純粋で切なくて綺麗で綺麗で、余計泣いた。

氷艶光源氏は、”自分が”幸せになれなかった事じゃなく、”彼等を”幸せに出来なかったと嘆いてた。
光源氏の周りへの誠実さが彼を傷つけたのかと思ったら、美しいけど苦しい。

それが、あの全日本で、悔しさではなく、周りへの感謝で笑顔を見せた高橋選手の純粋さと似てると思った。

自身を差し置いてまで感謝しないで。
自分だけ責めて絶望しないで。
皆あなたに幸せにして欲しいんじゃない。
ただあなたに幸せでいて欲しいのにって。

そこまで思って急にあれ?ってなった。

そもそも、あの全日本の演技前、私はTVの前で祈るように”結果”に期待してた。
どうかなんとか…と思ってた。
結局私は、彼の積み上げた実績の上に、更に積まれる輝かしい結果を、必死に望んでたんじゃん。

…で、無意識に色々背負わせておいて、全てを背負って絶望した彼等を目にした途端、そんな事望んでない!って嘆くのか。アホや私は。

…期待だけならともかく、必死で強要する程の念って恐ろしいね…。

それに、彼が本当に自分自身を差し置いたのかは分からない。
そう思い込んだのは、自分が彼に求める型があったんじゃないか?
(他者がつける)結果に執着する私と、同じ思考の型を。

と、氷艶の源氏の絶望について考えてたら突然気がついたんです。
慟哭の舞で感じた痛みから、6年越しの自分の懺悔になるとは…。

あらためて全日本ビートルズ

全日本のビートルズは、凄まじい純度の美しさで、ものすごい引力で惹かれたのに、自力では見返す事が出来ない不思議な演技として自分の中にあった。

以前、過去プロ感想を書いてた時も、沼落ちプロとして絶対に外せないけど見返せなくて、記憶だけで書いたプログラム。
その時書いた感想を改めて読み返したら、あんまりな自分の必死ぶりに、ああやっぱりと思う。(コレ

オリンピックという結果に、執着し過ぎてる(私が)。
あまつさえ、感想の途中で逆ギレしてる…。なんでやねん。

その理由をその時点では深追いしなかったけど、今やっと分かった気がする。
途中で結果を手放した(ように見えた)高橋くんに、私が傷ついたんだ。(どんな権利でさ!)

でも、彼は演技を絶対に手放さなかったし、表現することに全力を傾けてくれたし、だから自分にとっては、宝物のような本当に美しい演技でもあった。
なのに、そこから聞こえた別れの言葉を、絶対に聞きたくないと(心の中で)言い返して、けどその美しさに釘付けで必死で目に焼き付けるという、忙しない矛盾

伝わるものが痛いくらい綺麗で純粋で、どうしようもなく惹かれた。
あんな綺麗なもの、人生の中で出会う機会ってそうそうないと思う。
なのに、気持ちが抉られた理由が、自分で分かってなかったんだけど、なんだ自分のせいじゃんか!(私の場合)

私が、彼に、無意識に、数字の結果を強制してた。
これが自分が傷ついた1番の理由。

この上往生際悪く言い訳するけど、だって彼は世界ランク3位だったんだ。
そのシーズンのベストスコアだって世界3位。
私にとっては紛れもなく、オリンピック金メダル候補の一人だった。

直前の怪我さえなければ、若しくは怪我を癒す時間が十分にあればって。
それができなかった環境だった事が辛くて、でも彼なら奇跡を起こして状況をひっくり返せるって、根拠ナシの無責任な期待で必死になって結果を祈ってた。
今までの辛かった事全部、最後に引っくり返って報われて欲しい、笑って欲しい、幸せになって欲しいって。
それは相手を思う気持ちのつもりだったけど…。
氷艶の弘徽殿女御の、愛と期待が妄執になっていた朱雀への思いと、どう違うだろう…。

そして、あの土壇場で現れた高橋大輔って人の本質は、結果に執着する事では、やっぱりなかったんじゃないかな。
途中から、結果より周囲への感謝の伝達に全振りしたような彼のあの演技は、奇跡のような美しさだった。心臓が痛いくらい。
自分ではどうにもならないアレコレに怒りをぶつけるのでも、悔しさで落ち込むのでもなく、自分の大切にしてきたフィギュアスケートを通して、全力で表現し感謝を伝える。

直前までは彼も結果に追い詰められていたかも知れないけど、それは、周りからのプレッシャーでそうあらねばと自身を追い込んだからじゃないのか。
彼の元々の本質は、結果だけに執着するより演技で何かを伝える事に全てを賭ける人で、だからきっとあの局面であんなに美しい演技になったんじゃないか。
自分が”高橋大輔”に落ちたのは、その表現の純粋さこそなんだ。

氷艶を演出した宮本亜門さんは、純粋に表現の観覧者として観ていたから、ただただあの彼の美しさに感動したんじゃないかな。違うかな。

私も、あの美しさに真っ逆さまに落ちたんだけど、他に渦巻く感情があって混乱してた。
あんなに真摯で綺麗な感情を全身で見せてくれたのに、その美しさが尊かったのに、自分の無意識の執着(彼の五輪出場)が、演技に見惚れながら必死に首を振る辛さになってた。(ほんと忙しないワ)

氷艶の舞では、絶望する光源氏に自身ばかりを責めないでくれと、やっぱり思ったけど、あなたが他人に与えた人生の美しさや幸せもいっぱいあるじゃないかって、飛んでって説得したくなったけど(しないけど)、その痛みの美しさは、美しさとして受け取れた。見返せない事はもちろんない。
何度でもリピートして美しさに浸るつもり。

でも似た痛みを感じた全日本ビートルズは、未だに自力では見返せない程に痛みが刺さったままだった。
自分の沼落ちポイントとしてトップレベルの震度だったのに。

状況が辛過ぎたからかなとか何となく考えてたけど、本当は、あの時の私の勝手な執着の罪の意識が、1番のネックだったのかも知れない。自分の場合。

5年以上経って、氷艶を観て、ツラツラ考えてるうちに、やっと当時の自分の心情が分かった(気がする)とか、氷艶怖い。亜門さんコワイ。ってゆうか今まで気がつかなかった自分…シッカリして。

かつての競技生活で、もう過ぎる程に過酷な思いをしてきたように見える高橋くん。
今はそれを超えて自分の足で新しく歩き始めている彼に、亜門さんが、こんなに辛い感情をまた彼に舞台で生きさせたかった理由って何だろう。

考えても私にはよく分からないけど、少なくとも私の方は、あの氷艶の最後の舞で感情が燃やし尽くされて浄化されたような気がする。
次に進むために出し切るって事なのかな。やっぱりまだよく分かんないけど。

「自分のため」

氷艶では、カーテンコールでの涙と笑顔の高橋くんを見て、ホッとした。
ああ、戻ってきてる。今の高橋くんだって思った。

氷艶の光源氏は、演技が迫真すぎてこっちも同化して傷だらけになったけど、今の高橋くんは今の高橋大輔だ。

2015年春のTVの企画でMr. Childlenの「GIFT」を高橋くんが選んで滑った時、「人っていつも誰かに何かを与えたいって思ってるから」と話してた。
この人は自分がそうだから、人もそうだと思ってるんだよね。

そんな人が、自分の好きなことを好きなように追求する事が、結局誰かに何かを与えられるんだって、今はそう思ってるんだ。そうですよね。

他人の期待に応える為にスケートをするんじゃなく、自分が本気でスケートのパフォーマンスをしたくて、人もそれに期待してる。
周りが期待する彼の才能と、彼自身の気持ちが一致できない時期を、きっちりしっかり悩み抜いて、自分の好きを自分で選びとってくれた。

そして、
「ファンの人に真剣に向き合ってる姿を見せられてよかった。」
「やりたいことやらせてもらって楽しんで貰えてる。これでいいんだと気が楽になった。」('19年4月ナチュリエさんトーク
「迷っている間も応援し続けて頂いたファンに、復帰で少しは恩を返せたのであれば嬉しい。」(AERA'19年4月29日-5月6日合併号
って言う方なんですよね…😭😭😭

も、もう、こっちの事はいいから!
なんでも好きにやったらいいから!

高橋くんが幸せに心から好きな事を追求してくれる事が、とてもありがたい。
本当に、結果じゃないなって、今自分も心からそう思う。
外側からの相対的な数字の結果そのものは、第二義だ。
必要なものだし、それがあるから面白いんだけど、最優先ではない。
ただの一つの目安として、その時々で意味をつければイイんじゃないかな。

まあこれからも期待は勝手にしちゃうだろうだけど(その髭はちょっととか偶には色白を見たいとかも言わないとは言えないけど)、でももう絶対押し付けませんから。
私の頭の中にある思考がどうだろうと、高橋くんの行動には1ミクロンの影響もない(とゆうか存在さえ知りようがない)と分かっていても。念が飛んだらイヤだから。

でも、今はこっちが万一間違えて期待を押し付けそうになっても、きっちり自分の信念を通してくれそうな気がして安心する。
いや、そうしないようめちゃめちゃ気をつけるけど!

行動の軸の置き所

GIFTの時の言葉だけじゃなく、高橋くんは”自分の為に”が結局”他人に何かを与えたい”になる人なのが、色んな言動からよくわかる。

彼の言う”自分の為”は、自分の行動の軸を、外から与えられる評価にではなく、彼自身が下すジャッジに置くって事なんだろうな。
人にスケートで何かを与えたい、そのために自分を律するのは、自分自身。
だから、深イイで紹介された「評価が下がったとしてもいい」「自分のしたいことをやってみよう」になるんだ。と私は思う。

多分、誰より厳しい目で自分を見ようとしてる。
高橋大輔って人が、高橋大輔の表現に、一番厳しいと思うから。
試合結果と彼自身のジャッジは、必ずしも一致しないかも知れないけど、自分がブレなければ、自分の評価が一番意味がある。

自分への理想を高く保ち続けるのって、すごく大変でシンドイと思うけど。
それをキラッキラの目で、生涯現役の強い気持ちで、どんどん挑戦して行動し続ける姿が眩しいです。

高橋くんて、言葉の選択はたまに自由過ぎてちょっと自分には謎な時もあるけど(笑)、いつもしっかり行動で示してくれるから、行動を見るだけでもすごくよく分かる。

ああ好きだなあ

今シーズンも楽しみ。
挑戦の新SP: The Phoenixと、進化のFP: PGG、どうなっていくのか、ワクワクして待ってます!

なんか25ansさんから、高橋選手と宇野選手の素敵な言葉が届いてたので最後にリンク。

www.25ans.jp