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高橋大輔 大怪我からバンクーバーまで

プログラム以外の話

2008-09シーズンは高橋選手全休。

バチェラレットにどっぷり落ちた身としては、その実施者の高橋大輔選手は当然気になる。ファンの自覚はなかったけど(鈍いので)オフシーズンの話題もそれなりに覚えているのは当時もだいぶ気にしていた証拠。

まずニコライ・モロゾフコーチの師事を離れた事。
その後の右膝の前十字靭帯断裂と半月板損傷という大怪我。

長文につき目次機能を初めて使ってみました

モロゾフコーチとの決別

モロゾフさんと別れるとか別れたとかいう話は、聞いた時は驚いたけどまあそんな事もあるのかと思った。だけど、どうも色々複雑な経緯があったようで。

結局何がどうなってたのか未だに自分はよく分かってないので省くとして、とりあえず、モロゾフコーチが起こした行動が発端で、高橋選手がそれを理由に訣別を決めたらしいというのは分かった。

印象的だったのが、師弟関係解消を決めてからの高橋くんのコメントが、今でもニコライの事は大好きだしこれまで教えてくれた事に感謝している、と恨み節一切なしのコメントで一貫してた事。大人だなーと思った。

モロゾフの方はと言えば、高橋くんの事務所への不満を何やら述べていたけど、高橋くん本人を悪く言ったりはしなかった(と思う)。離別という高橋くんの決断に、ダイスケが彼の意思で離れたいと言うはずがない、とか、コーチの自分を選ばないなんて…みたいな恨み節はあったけど、それを聞いて、ああこの人結局は高橋くんの事が大好きで、でもちょっと勘違いしてたのかなあと思った。

五輪一年前の大怪我

そんな中で迎えた五輪プレシーズンの直前に起きた大怪我。手術のためこのシーズンは全休に追い込まれた。

一年したら戻ってくるその為の手術、という本人の言葉をそのまま信じて、まだファンって程でもなかったし、かなり能天気に待ってた。
氷上で何度もジャンプをするフィギュアスケート選手にとって、バネとなる膝の靭帯断裂がどれだけ致命的なのか、当時はよく分かってなかったし。新聞やテレビは選手生命の危機だとか絶望感を煽るものもあったけど、本人が「オリンピックに出る為に手術をする」とコメントしてくれたので、きっと大丈夫だろうと。

今思えば本当に際どい状況だったんだな…。あの時、きっぱりと前向きな言葉だけを発信してくれた高橋くんには、今更ながら感謝です。じゃなかったらさすがに不安になってたと思う。

五輪シーズンの戦い方

そこからのバンクーバーオリンピックを迎えるまでの道。
復帰戦のフィンランディア杯の優勝はニュースで聞いた。ああ、ホントに戻って来たんだってほっとした。

グランプリシリーズはまだまだジャンプは本調子じゃなく、良かったり悪かったり。でも、またスケートが出来るって事の喜びが伝わってくるイキイキした演技で、見てて嬉しかった。そしていつの間にやら必死に高橋くんを応援してる自分に気づいて、あれ?自分なんでこんな必死?って驚いたのをよく覚えてる。

もともと自分にとってフィギュアスケートは、応援というより鑑賞の対象だったので、プログラムへの思い入れはあっても、演じた選手への思い入れはまた別。それがこの頃明らかに、高橋選手本人を応援するようになってた。

応援したくなった理由を振返って考えると、今までのオフアイスの雰囲気とは別人のように急にいつも落ち着いた大人の雰囲気になって、この一年でこの人一体どんな苦労を乗り越えてきたんだろうと思った事、他にモロゾフさんの事がちょっとと、後は4回転への挑戦の姿勢。

モロゾフ氏の舌戦?

既に決別しているモロゾフ元コーチが、なんのかんのと高橋陣営に物を申したがって、やれ選曲がどうだとか、リスクの高い4回転ジャンプを不安定なまま挑戦させるのは無謀とか、そんな感じの話をメディアに向けて話してたのをよく覚えてる。
自分の生徒にだけ集中しとけば良さそうなものだけど、五輪前というのはコーチによるライバル選手への牽制のような舌戦も時々あるらしい、とこの時初めて知った。(やめてほしい)
ただモロさんのそれはライバルへの牽制というより俺にコーチをやらせろと言ってるようにも自分には聞こえて、少しは微笑ましさがない訳でもなく…。(いや、知らないけど。)チーム高橋の戦略を非難する発言はあっても、高橋くん本人を貶しているとは感じなかった。結局その3年後にモロさんからのアプローチで電撃のコーチ復任になったのは、やっぱり微笑ましい…かな?

でも上手くいかなかった時にごちょごちょ言われるとイラッとしたのも事実!2005年以降しか知らない自分は高橋大輔のコーチと言えばモロゾフで、長光歌子コーチの存在は気づいてなかったくらいなので、これで上手くいくのかなという不安が実はあったし。上手く行ってほしいと心底願ってたけど!
モロゾフの変わりになる別の欧米のコーチに就くように連盟から勧められても、点数をもらう為には欧米のコーチが必要という考えは納得出来ない、歌子先生だけで良い、と突っぱねるように断ってしまったという新聞からの情報に、カッコイイなあと思いつつ心配でもあり…でもだからこそ頑張れ!って祈るように思った。

ショートの振付は有名な欧米やロシアの振付師ではなく、当時世界的にはまだ無名だった宮本賢二さん。曲はやはり有名曲とは言えないだろう日本のcobaさんによる「eye」。振付や選曲も採点を左右する中、オリンピックをこれで行くと決めたのは今思えばかなり挑戦的。後になってNHK刈谷アナウンサーが「僕は当時反対したんです!」と明かしたのも頷ける、王道を行かないオールジャパン体制。(フリーは選曲・振付がイタリア)

四回転ジャンプへの姿勢

当時の採点方法だとモロゾフ氏もイチャモン 遠回しに助言した通り、4回転ジャンプを飛ぶリスクはかなり高かった。
まず回転不足の判定が厳しく、不足が1/4回転を超えるとダウングレード、つまり半分以下の点の3回転ジャンプとされる(今は1/4〜1/2回転の不足は70%の基礎点がつく)。しかも出来栄え(GOE)の減点幅は最大で-4.8!(今は-3)、転倒なら更に-1だからもうこれはほとんど点にならない😱(ですよね?)
始めから3回転にして良いジャンプと判定されれば加点もつく。つまり失敗4回転より成功3回転の方が点数が高い。どうかすると2回転の方が高い。

もちろん成功の4回転なら高得点だけど、そもそも基礎点のアドバンテージも今程高くない。トゥループなら当時は基礎点9.8(今は10.3)。
挑戦するだけでも体力を使うという大技なのに、失敗した時のリスクは高くて得られるメリットがそれ程大きくないんじゃ、無難に確実な構成で完成度を上げ4回転を試みない陣営が増えてもそりゃ無理はない。

それでも高橋くんは4回転にこだわった。まだ右膝にボルトが入ったまま、このシーズンずっとフリーで4回転に挑戦し続け、オリンピックを迎える頃になっても一度も試合で成功させていない。でも絶対挑戦をやめなかった。

怪我をする前のシーズンは、フリーに4回転を2回入れて成功させた。自分のその時のレベルまで戻したい、4回転は男子フィギュアの醍醐味だから絶対に入れたいと、繰り返し明言して4回転に挑み続けた。

実際には4回転の失敗で沢山減点されていたし、失敗に体力も奪われただろうし、足の状態から言っても成績だけ考えるなら、モロさんの言う通り質の良い3回転に専念して戦略を練った方が点数は出たかも知れない。
そこを敢えて、自分の生き方として大技の4回転にこだわる姿勢は格好良かった。心底応援したくなった。そんな人は他にもいたと思う。
応援したいと思わせる姿勢。これも一つの客観的な評価だと思う。成績とは別の。高橋大輔くんのあの取りようによっては無謀な挑戦は、確実に自分の心を掴んできました。当時も思ったけど今も改めて思う。高橋大輔カッコイイ!

このシーズンのプログラム、「eye」も「道」も好みど真ん中でその魅力も勿論あったけど、加えて選手本人への思い入れがかなり強くなり応援に熱が入ったのが自分でも分かった。
多分五輪の頃って選手に関する情報が増えるから、沼堕ちの罠があっちにもこっちにも出現するんでしょ〜ね〜。でも何に落ちるかは自分次第。

あなたが落ちた"高橋大輔"はなんですか?

(自分のうろ覚えの勘違いで間違った情報を書かないように気をつけてるつもりですが、もしも間違えてたらすみません!即刻訂正するので気づいた方もしも教えて頂ければ有難いです。 )

当時のジャンプの点数に関して主に参照したのはこちらの記事

https://www.nikkei.com/article/DGXZZO10361220S0A700C1000000/